大判例

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大阪高等裁判所 昭和57年(ネ)71号 判決 1985年7月25日

控訴人

甲山花

右訴訟代理人

加地和

前川大蔵

被控訴人

甲山太郎

右訴訟代理人

森川清一

矢田誠

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張と証拠の関係は、当審において、控訴代理人は控訴人の、被控訴代理人は被控訴人の各本人尋問を求めたと付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

一控訴人と被控訴人が昭和三八年四月一六日婚姻の届出をした夫婦で、被控訴人は、○○大学文学部研究科博士課程を単位終了退学し、控訴人は○○○女子大学音楽科ピアノ課程を卒業したこと、右両名は、昭和三七年六月、被控訴人三七才、控訴人三一才の時に見合をし、翌三八年四月五日結婚式を挙げ、その間に昭和三九年一〇月二七日長男一郎が出生したことは当事者間に争いがない。

二<証拠>によると、次の各事実が認められ、右各本人尋問の結果中右認定に反する部分はたやすく措信できない。

1  被控訴人(大正一五年九月二九日生)と控訴人(昭和六年三月五日生)は、ともに大学教授の家庭に一人子として育ち、被控訴人は、縁談で控訴人と知りあつた昭和三七年六月当時、大学院在学中であつたが、その後大学の工業教員養成所の常勤講師を経て、控訴人と結婚した月に右大学文学部助手となり、一方控訴人は被控訴人と知り合つた当時、放送局の室内合奏団ピアニストをしていた。

被控訴人と控訴人夫婦は、結婚後借家で同居生活を開始した。

2  被控訴人は、結婚当初から性的能力が弱く、新婚旅行の間も友人が教えてくれなかつたなどといつて性交をせず、これに成功したのは結婚して約半月後で、昭和三九年一月末ころ控訴人を妊娠させたものの、それまでに性交の目的を達したのは極く僅かの回数で、右妊娠の後は控訴人に性交を求めず、次第に控訴人を疎んじるようになつた。しかし被控訴人は、自己の性生活の欠陥の対策としては、これを他人に相談することすらしなかつた。

控訴人は、被控訴人が自己の性能力から控訴人に対し劣等感を抱いている素振りを感じたので、被控訴人の劣等感を刺激し自尊心を傷つけることなくその愛情を得るようにするならば、やがては普通の男性と同様の域に達するものと考えて心がけて接していたが、事柄の性質上他人に打明けて相談することをはばかり、結婚して約半年後ようやく仲人の医学部教授に相談したが、あいまいな回答しか与えられなかつた。

3  被控訴人は、昭和三九年五月、西ドイツのハンブルグに講師として単身赴任し、控訴人は自分の実家に残り、同年一〇月二七日長男一郎を出産した。

被控訴人は、右単身赴任中友人に控訴人との離婚の考えを漏らしたので、控訴人は、心配した右友人の勧めもあつて、被控訴人の同意を得て、昭和四一年一〇月、女子短大非常勤ピアノ科教師の仕事を止めて一郎を連れてハンブルグの被控訴人の許に渡り同居を始めたところ、そのころ被控訴人は控訴人に対し、結婚が気に入らなければ離婚しようと提案したが、被控訴人のハンブルグでの生活が荒れていると聞いていた控訴人は、被控訴人のそのような生活を二人の力でやり直す絶好の機会と考えていたので、離婚に同意しなかつた。

しかし被控訴人は、そこでの同居生活の当初から、控訴人に衣服を付けさせないまま眺めるだけで満足し普通の性生活に至らないことが続いたので、控訴人は強い精神的苦痛と不満を感じ、被控訴人にそれを訴えたところ、被控訴人はそれを和らげる態度をとるどころか、かえつてそのような控訴人に不満を示し、右の遊びは止めたものの、暫くして被控訴人は書斎で寝て控訴人と寝室を別にするようになり、同居生活開始後半年から一年たつと食事も別にするようになつた。

4  控訴人は、昭和四三年三月、被控訴人の同意を得て就職のため一郎を連れて帰国し、控訴人が先にハンブルグに渡るに際し家財道具を留守中保管するために建られていた、控訴人の実家のプレハブの離れ(控訴人の肩書住所)に居住し、同年四月から再び前示短大でピアノ教師として勤務し始めた。

被控訴人も、同年一〇月、控訴人にその日時を具体的に知らせないで帰国し、その実家に落ち着いたが、やがて控訴人らの住む前示プレハブの離れで親子三人の同居を開始した。

なお日本とドイツに別れて居住していた期間中の控訴人と被控訴人間の文通は、控訴人差出の手紙が三通に対し被控訴人差出しの手紙は多くとも一通程度の割合で、それもやがて被控訴人は、控訴人が被控訴人からの手紙を被控訴人の両親に見せなかつたとか、一郎の出産費用の負担の話合いの際控訴人が被控訴人の母に示した態度が悪いなどと理由づけて、控訴人に手紙を書かなくなつた。

5  被控訴人は、前示プレハブの離れで同居を開始して二、三日は、控訴人と同じ寝室で就寝したが、その後は書斎で一人就寝し、帰国後現在まで控訴人との性行為を一切していない。

被控訴人は、昭和四四年四月に関西大学文学部講師となつたが、帰国後一年間位は月給の一部しか家計に入れず、その後はそれも止めて年二回のボーナスの一部しか入れなかつたけれども、控訴人は自分の収入があるので一家の生活に困ることはなかつた。

被控訴人は、元来酒好きで、昼夜の別、家の内外を問わず飲酒することが多く、午前二時を過ぎて帰宅することも少なくなかつたのに、前示大学への通勤時間が掛ることとなつたうえ、学生運動の激しい時期にはその対策のため帰宅時間が不規則となつたり、帰宅できなかつたりしたこともあつた。さらに被控訴人は低血圧もあつて、朝起床が遅いため、朝出勤する控訴人とは朝食を共にすることはなく、夕食も、帰国して同居再開後の半年程は家族と一緒にとつたが、その後は家族の夕食時には家を留守にすることが多くなつた。

そして被控訴人は、一郎の養育を控訴人に任せきり、その通つた幼稚園や学校の名も知らず、昭和四五年ころには、被控訴人は控訴人に用事を頼んだり対話を求めることもほとんどなくなり、控訴人から話しかけても相手にせず、控訴人や一郎との間の会話もほとんどなくなり、被控訴人は自室に閉じ籠るようになり、控訴人も自室に鍵をかけたり、被控訴人の電話の取次を怠るようになつた。

このような状態から、控訴人は、週二回位の割合で被控訴人宛の置手紙をしたりこれに贈物や好物を添えるようになり、両者間の意思の疎通は専ら手紙によることになつたが、被控訴人からの手紙は全部で五、六通しかなかつた。

6  被控訴人は、控訴人が母屋の両親の許に居ることが多すぎるなどの不満から、転居して親子三人だけで生活することを考え、借家を見付けたうえ、控訴人宛に置手紙をしたが、その内容は、被控訴人と控訴人の関係は、時が解決してくれるという段階を通りこして、名前のうえだけで一緒に暮らしていることも無意味となつた段階にあると思われるが、現在の住環境では不都合なことが多いので、近いうちに新しい家に移ることにする、もう一度新しく家庭を築き直そうという意欲は正直にいつて今さら湧かないが、三人が住めるだけの広さは確保されている。その家は、上池田町のバス停の近くにある、というものであつた。これに対し、控訴人は転居を断つたところ、被控訴人は、昭和五〇年六月、重ねて控訴人宛に置手紙をしたうえ単身で転居したが、右手紙の内容は、我々の間は時間が解決する段階を過ぎていると思われるから、引越先に来てもらつても、今までなにもなかつたような顔をして応対する気にならないし、事実できないだろう、お互いの負担にならずに、試みに別居してみたい、というものであつた。

その後は、控訴人は被控訴人と別居を続け、被控訴人に戻るように求めたこともなかつたし、被控訴人も一郎に会おうとしたこともなかつた。

7  被控訴人は、昭和五一年二月と同年六月に、控訴人に対し離婚したいから話合いたいとの手紙を送つたが、控訴人の返事がなかつたので、同年六月控訴人を相手方として京都家庭裁判所に夫婦関係調整調停を申立てたが、控訴人が離婚に反対したので、昭和五二年四月二〇日不成立に終つた。

そして控訴人は、現在でも被控訴人との婚姻生活の継続が可能であると信じ、かつそれを強く希望している。

8  被控訴人は、控訴人やその実家に対する不満があつても、それを控訴人に告げ話合つて事態の改善を計るなど、積極的に婚姻維持の努力をしたことはなかつた。

三以上の事実経過から見ると、被控訴人と控訴人間の本件婚姻関係は、最初のつまづきが尾を引き、相互の意思の疎通を基礎とする理解と協力が十分でないまま、精神的肉体的にもまた経済的にも分裂の傾向を強め、遂には被控訴人側からの意思の疎通が断絶され、長期間の別居を経過した現在では、控訴人の婚姻継続の意思にもかかわらず、被控訴人の離婚の意思は固く、既に婚姻関係は破綻しその回復の可能性は消滅しているものといわなければならない。

しかしながら、本件婚姻の破綻原因は、被控訴人の性的能力の欠陥からの劣等感に端を発しており、その改善には妻の協力を必要とするものの夫の努力に待つべきところが大きいのに、被控訴人は他人に相談すらせず、なんらその点の努力をした形跡が認められないのに対し、控訴人はそれなりの努力を払つていたものということができる。そして控訴人は妻らしく被控訴人との意思の疎通を計るべく手段を講じているのに対し、被控訴人は、このような控訴人の心情を理解せず、控訴人との間に意思の疎通を計ることにつき見るべき努力をした形跡もなく、通常一般の夫に比べて妻との精神的肉体的結合に淡白ないしは関心が低かつたというべきである。また被控訴人は、控訴人やその実家に対する不満があつても、それを控訴人に告げ話合つて事態の改善を計るなど、積極的に婚姻維持の努力をしないままに、一方的に転居を申し出たもので、その際の置手紙も、転居先を明示しないのみか、被控訴人の真意を素直に表現せず却つて再出発の意欲はないかのような表現をしているのであつて、これらの事情からすると、控訴人が被控訴人の真意を汲めず被控訴人とともに転居しなかつたのも無理からぬものがあるといえるし、また被控訴人は控訴人と十分話し合わずその理解と協力を得ないまま、一方的に控訴人との同居生活を廃止したものといわなければならない。このように見てくるならば、本件婚姻が破綻するに至つた原因の一半が控訴人の態度にあることは否定できないとしても、それは被控訴人の前示のような態度の結果によるものということもできるのに対し、被控訴人の側においては、控訴人との話し合いなどによる事態の改善、婚姻生活の障害排除に積極的な努力を払わず、一方的に自分の意思を控訴人に押しつけようとした等、婚姻の破綻につき、主として被控訴人に重大な責任があるといわなければならない。

そうだとすると、本件婚姻の破綻は、主として被控訴人の有責行為によるものであり、控訴人の婚姻継続の意思にもかかわらず、本件離婚請求を認容することは衡平上許されないものといわなければならないから、被控訴人の提起した本件離婚訴訟は、失当として棄却しなければならない。

四よつて右判断と異る原判決を取り消し、被控訴人の本件請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野田殷稔 裁判官井筒宏成 裁判官唐松寛は、退官につき署名捺印することができない。裁判官野田殷稔)

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